コピーと芸術の違い
こんばんわ。
昨日さぼってしまったので、今日は2つ記事を投稿します。
僕は今日ずっと家で本を読んでいました(ウルトラで疲れすぎたので、、わら)
その本がこちら
「広告コピーってこう書くんだ!読本」です。
かなり広告の界隈の中では有名な本かもしれませんが、気になって買って読みました。
その内容の中でもっとも印象的だったのがタイトルにもある
「コピーと芸術の違い」についてです。
(正確には「常識とコピーと芸術」の違いを谷山さんが述べている箇所です。)
コピーと芸術は何が違う?
谷山さん(この本の筆者)の結論は
「受け手の反応や捉え方」がコピーと芸術では異なるというものです。
どうゆうことか?
ではコピーと芸術、それぞれの受け手の反応を例示しましょう。
・芸術 = 「なにそれ?わかんない」
・コピー = 「そういえばそうだね」
もっと分かりやすいように、この本から一部を抜粋して紹介します。
たとえば、あなたの目の前に「豆腐」があると想像してみてください。
「この豆腐の白さはね、現代の不安を象徴しているんですよ」と言えばどうなるか。聞いた人はほとんど、「そんなのわかんない」とか「はあ?」とか自分には理解できないという意思表示をした答えを返してくるはずです。
少し極端かもしれませんが、これが「芸術」です。
次に ぼくが、たとえば、「豆腐はね、すごく栄養があって"畑のステーキ"みたいなものなんだよ」と言えばどうでしょう。もしそれに対して、受け手のあなたが「あ、そういえばそうですね」と答えてくれたとしたら、それが「コピー」だとぼくは思うんです。
いかがでしょうか?
芸術の「豆腐 = 不安」 というロジックは発想が突飛すぎて理解できませんよね。笑
一方で コピーの「豆腐 = とても栄養がある = 例えるならば畑のステーキだ!」
というロジックはどうでしょう?
豆腐には栄養があるという事実は理解出来るし、その例えも納得がいきますよね。
「そういえばそう言えるかも」とか「なるほど!たしかにね!」という反応が返ってきそうです。
(個人的には"畑のステーキ"で一瞬「?」ってなりましたが笑)
これで芸術は「わかんない」、コピーは「そういえばそうだね」の意味がわかっていただけたと思います。
コピーの本質ってなに?
そして谷山さんはそこからさらにコピーの本質とはなんなのか?
という疑問に対しても意見を述べられています。
それが「知っているのだけれど、ふだんは意識の下に眠っているもの」を言葉で表現するのがコピーだという意見です。
全く知らないor分からないわけではない、でも普段は意識してないことを言われるから
「あー、確かにそうだよな」と納得させることが出来るというわけですね。
そしてまさに谷山さんが語るコピーの本質そのものだと思ったコピーがあったので、ここで紹介させていただきます。
それがこちら
たとえピンクになろうが、「クルマは凶器になりうる」ということを、クラウンは忘れません。
これのどこに「知っているのだけれど、ふだんは意識の下に眠っているもの」があるかというと、
クルマは凶器になりうるという認識です。
どんなにスタイリッシュでも、どんなにかわいいデザインでも、クルマというものは使い方次第で非常に危険なものにもなりえます。
そんなこと免許を持っている持っていないにかかわらず誰もがわかっていることです。
ですが、意外といつもそんな意識を持っているかと言われると、結構そんなことなかったりする。実際に巻き込まれたり、目の前でクルマの事故がない限りは意識することはあまりありません。
↑のクラウンのコピーはそんなみんなの普段無意識な部分を見事に言葉で表現したコピーだと思います。
また、それだけでなく、きっちりクラウンの魅力も同時にアピール出来ているのもさすがですね。
このように、「知っているのだけれど、ふだんは意識の下に眠っているもの」をいかに言葉で表現してあげるのか、ということがコピーの本質と言えるんですね。
ぼくもそんなコピーがかけるように、この本の内容を実践していきたいと思います!
では、またお会いしましょう。